生徒に勉強を教える教師にも、様々なタイプがいます。知識の詰め込みを重視する先生もいれば、人間性を育むことを大切にする先生もいるでしょう。しかし、一見すると「どちらも良い先生」に見えるアプローチの中に、生徒の成長を止めてしまう落とし穴が潜んでいることもあって……。本記事では、ロバート・キーガン氏著『ロバート・キーガンの成人発達理論――なぜ私たちは現代社会で「生きづらさ」を抱えているのか』(英治出版)より、2つの異なる教育哲学を持つ教師たちの授業風景を分析。表面的な教え方の違いを超え、生徒を成長させられる教師と、そうでない教師の本質的な差を紐解いていきます。
本当に「良い先生」の共通点…ハーバード大学名誉教授が明らかにする、教育現場に潜む「教え方の罠」 (※写真はイメージです/PIXTA)

教師が支持するアプローチと教育の良し悪しの関係性

第1に、マインドを成長させるカリキュラムの観点からすると、授業が優れているか否かの違いは、支持する理念が原理原則重視か人間主義的かの違いと、全く関係がない。というより、効果的な授業がどのようなものか、逆に効果的でない授業とはどういうものかは、図表にあるように、それぞれのアプローチを見ればわかるだろう。

 

第2に、図表の「マインドの発達を促すアプローチ」の欄にあるとおり、「基本に戻る」理念を信じる教師と「全人的な」理念を信じる教師にどれほど違いがあろうと、マインドの成長を促す観点から理念を実践する場合、両者は教育という仕事において敵対関係にはなく、互いに補完し、協力し合っている。

 

出所:本文
[図表]「基本に戻る」/「全人的な」カリキュラム理念に対する効果のある/効果のないアプローチ 出所:本文

 

先述した「申し分のない」教師A’とB’は、世代も政治的信念もライフスタイルも違うかもしれない。だが、理念の実践における「深層構造」――生徒の意味づけの構造及びプロセスを向上させようと配慮すること――は、実践の仕方が表面上どれほど違って見えようと、きわめてよく似ているのである。

 

生徒との関与のあり方に大きな影響をもたらす質的部分(気質、社交・対人関係スタイル、生徒のマインドのどの側面を積極的に伸ばしていくかについての好み)が教師によって異なり、その違いに直面すると、もっともなことながら、教師たちに呼吸を揃えてほしいと願う学校のリーダーは、お手上げだとあきらめてしまうかもしれない。だが、そのような違いは必ずしも、同じ目標のために協力する教師団をつくる希望を打ち砕くわけではない。

 

支持する理念が何であれ、教師が「申し分のない教師」に変わることができればできるほど、支持する理念がやはり何であれ、同僚の申し分のない教師が仲間になって、共通の目標をともに追いかける可能性が高くなるのだ。

 

教師B’は教師A’と違い、オー・ヘンリーの短編小説を使って「人生の皮肉」という概念を教えようとは決してしないかもしれない。だが、カリキュラムを共有するこのふたりの教師は、同じチームに属している以上のことを知っている。方法こそ違え、全く同じ目標を達成しようとしていることを知っているのである。

 

 

ロバート・キーガン

ハーバード大学教育学大学院

名誉教授

 

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